新型コロナ:半デミック(hemidemic), NOT 汎デミック(pandemic)? vol.5

新型コロナ()ウィルス:パンデミック? 半デミック? Vol.5

 

3)事実3:感染者数の変動

グラフ③④は、感染者数と死者数の比較的短期の変動です。

日々確認された感染者を、7移動平均で示していますi

 

グラフ③ 日次感染者数(7移動平均。百万人当たり)

 

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グラフ③ 日次感染者数(7日移動平均。百万人当たり)

グラフ④ 日次死者数(7移動平均。百万人当たり)

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グラフ④ 日次死者数(7日移動平均。百万人当たり)

両グラフで目立つ異常値や動きは、所謂 「第一波」の後。

 1)南米の動き

4月以降、南米だけが感染者も死者数も一貫して増加しています。9月上旬頃まで高止まりです。

2)北米の夏場

北米にも南米を除く地域の5-9月の地域の落ち着きとは明らかに異なる時期があります。

北米(と、山は小さいがロシア)だけ、6-8月にかけ顕著な山がある。

310月後半~現在

おおむね10月半ば以降、EUも北米もロシアも顕著に増えている。

アジアやアフリカでも、スケールは相当小さいですが上向いています。

 

1)に関する仮説

まず南米については、南半球の温帯地域では5-8月は秋から冬だったことが関係していそうです。傍証となりうるのは、同時期の南米の温帯圏、プラス南アフリカやオーストラリアなどの感染者数でしょう。

 

グラフ⑤ 日次死者数(南半球諸国。7移動平均。百万人当たり)

 

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グラフ⑤ 日次死者数(南半球諸国。7日移動平均。百万人当たり)

グラフ⑤は、「日次死者数。7移動平均。百万人当たり――南ア、オーストラリア、南米の熱帯に属さない国の例(アルゼンチン、チリ、ウルグアイパラグアイ、ペルー)」。

 南アの最近の特異な動きは深刻ですがそれは一旦さておきます。

5月~9月にかけての南半球の晩秋~冬~初春は、南アでも南米の熱帯以外の諸国でも、死者が増えています。「コロナ優等生」のオーストラリアでさえ小さな山ができています。仮説の傍証とはなりそうです。

 

3)に関する仮説

前後しますが、(3)の10月以降の動きについて先に触れます。

今、北半球はは真冬です。例年であっても原種の旧型・冠(コロナ)ウィルスに感染、つまり風邪をひきやすくなる時期です。風邪をこじらせた肺炎もそれなりにありそうです。新型への感染や重症化もまた同様でしょう。

10月というのは、北半球で秋本番。徐々に寒くなる。例年通りであっても、「風邪」は増えてはをくるでしょう。

一方、南半球は目下、真夏。少なくとも4-7月のようには増えていない。

しかし、下げ止まっているのはかなり気がかりです。このことは後述します。

 

2)に関する仮説

では2の北米の感染者や死者数の異常な動きはどうとらえるべきか?

たった一年の数値から決めつけるわけにはいかない。ですが、2020年の夏場の変動を見る限り、南米の動きに遅れて増えているようにみえる。とすれば、地理的な近接性が関係しているのではないか? 新型劇症風邪ウィルスの最大の媒介者たる人の動き、いわば「人流」ゆえと仮説を立てるのが理にかなっていそうです。誰でもそう推測しますね。

具体的には、南北アメリカ間の出稼ぎや移民、帰省など。地理的近接性ゆえの人の往来の多さ。大雑把ですが、北米発・南米行きよりは南米発・北米行きの出稼ぎや移民が相当に多いでしょう。米国の人流の制限の詳細は、わたくしはまだ調べきれていません。2020年夏場までは人の往き来がまだあったのなら、北米の夏の「山」は、冬である南米からもたらされた可能性があります。

しかし、くどいようですが複数年の数値、データをみることができないので純然たる仮説ですii

 

新型冠(コロナ)ウィルスに限らず、どんな動植物の外来種と比べても、他の地域を元々の生息地、「ふるさと」とするホモサピエンスこそ、「最大の外来種iiiです。

 

 

余談: 「最大の外来種」人間と、動植物の違い

直前に「最大の外来種」という、一見ちょっと物騒な表現を引用しました。

注意すべきは、ホモサピエンスつまり人間の外来種は、動植物とは重大な違いがあることです。受け入れの是非を考える際、動植物の外来種とは全く異なる留保がつきます。

 

まず、動植物でもある、外来種到来などによる、遺伝的交流「交配」は人間にも当然あります。

また、人間も動植物の外来種と在来種同様、比喩的な意味で「光や水や餌」の奪い合いはありえます。実際、あるでしょう。

 

ですが、人間に特有なことはそれ以上に大きい。

人間になによりも特徴的なのは、今喧伝される、意思決定過程への女性や外国人の参画もそうですが、仮にそういうプロセスに関わっていなくても、異なるコトバ・知識・食文化・習慣――要するに馴染みの少ない文化文明などを人は一緒に連れてくることです。

様々な交流が様々なレベル、文化文明的階層で起きる。物理的に隣人となれば、少なくとも遠く離れた場所で暮らしているより、交流の可能性は飛躍的に高まる。あまりに当然で、「指摘」と呼ぶほどのことでもない。

無論、短期的には軋轢や摩擦も起きます。

例えば現代の日本で、仏教寺院や焼肉。

古代の豪族・物部氏のように「古来の神々を蔑ろにする」。または本居宣長明治維新直後の新政府のように「焼肉はカラゴコロの産物」・「寺の廃仏毀釈、断固貫徹」などといって損壊したり排除したりする人は……いるかもしれませんが、ごく少数ではないでしょうか?

それらのように、客、ゲストの異文化異文明は、やがて受け入れられ、ホスト国に定着する。在来の文化と意図しなくても影響しあい、混ざりあってゆく。こういう交流や混淆という現象は、コトバなど文化文明の伝達が(基本的には)存在しない動植物との顕著な、いえ、大き過ぎる違いであり、人間に特有です。

 

最近流行りの表現の、多様性/ダイバ-シティの一例ないし拡張です。

定住するつもりのお客、ゲストを受け入れたら、文化文明的な多様性/ダイバーシティは増し、長期的には受け入れ側、ホスト国の国力を引き上げます。

 

短期的な軋轢をおそれまたは衝き動かされ、長城や壁の建設、海禁や鎖国政策など交流禁止を為政者が人為的に施す。程度差はあれ可能ですし、事実ありました。そんなことをした国は、長期的には不利益をこうむる。潜在成長率などを引き下げることになる。自分たちはともかく、子孫の為にはならない。

 

長期的には、国やその領域の力を強くすることは自明だからこそ、

「文化文明の蛸壺に閉じこもるな。多様性を意識的に確保せよ」

という主張になる。いわば歴史の叡智です。

以下、多様性確保や排除による成功例と失敗例を挙げます。

 

失敗例① フランスのユグノー教徒排除

近代の入り口でいうと、カソリックによる弾圧の対象となったユグノー教徒は各国に散らばりました。ユグノー教徒が多く、かつ、当時最先端の知識人の時計職人をも多数失った、フランスは徐々に衰退していきますiv

 

失敗例② 清朝江戸幕府

ユグノー教徒の流出と同時期の、中国の清や日本。清(前の明朝も)や江戸幕府は「海禁政策」や「鎖国政策」をとった。程度差はありますが、海外との民間人の自由な往来の禁止は共通です。そのため中国では宋や元(グローバル帝国の元祖)、日本では安土桃山時代まであった、進取的で開放的な気風が社会から徐々にか、急激に失われました。

 (1)中国の海禁政策……ほぼそのまま清の終盤のアヘン戦争アロー号事件での屈辱的な敗北につながります。清、中国のその後については割愛します。

(2)日本の鎖国政策……江戸幕府鎖国キリシタン追放を行いました。

戦国時代や安土桃山末期の戦乱を経た江戸幕府当初の「日本」は世界有数の銃の保有国だったといいますv1630年代の島原の乱以降一転して国を鎖し、狩り以外の銃使用を禁じ、1850年ごろまでの220年の平和がもたらされます(儀式化した一揆は、幕末に再び暴力的になったといいます)。キリシタン追放にもかかわらず江戸文化はやがて花開きます。

しかし清朝ほどではないにせよ、四隻の「黒船」に幕府は開国を強いられ、有力外様大名薩摩藩長州藩は各々交戦して、惨敗します。

 

その後の日本は稀な偶然に恵まれ、明治維新や近代化にまずは成功します。

しかし維新後の数十年、江戸の文化遺産、庶民の文化は日本人の多くが評価せず、大規模に流出しました。明治政府に至っては否定していました。江戸的なものを否定したい明治政府はそうでしたが、もう21世紀です。国立・東京藝術大学には浮世絵、多色刷り木版画の専攻学科くらいは出来ていることでしょう。

一方、明治政府の富国強兵/軍備最優先は、250年超の軍事的・科学的な遅れを取り戻すため已むを得なかった側面は強い。とはいえvi、怖いもの知らずの世代の軍人が舵を握ると、または巨大地震や恐慌を経て庶民も「盗泉の水を飲む」ことをいとわなくなり、「坂の上の雲viiを追ったのか、転落します。

 

日本のことがでてきましたので、余談ついでに。

「歴史にifは禁物ではなく、付き物」。しかしif、シミュレーションをするとき、地理や自然的条件の制約は最低でも受けます。

「日本」は昔も今も四方八方が海に向いている。全国どこでも歩き続けたら外国より先に海にぶつかる。

しかし絶海の孤島やガラパゴス群島と同じ条件ではない。

適切な比較かどうか、イギリスにとってフランスは近い。フランスやポルトガルユーラシア大陸の西端と考えると、大陸とも近い。日本にとっては韓国や朝鮮半島は近い。ユーラシア大陸の東端は朝鮮半島カムチャッカ半島。つまり日本もユーラシア大陸に近い。地理的に海に開かれているが孤立もしていない。日本列島はヘン、いえ、フシギな島々です。

実際、行き来も1,500年以上前からある。秦の始皇帝は、不老不死の薬を求め東の果ての山に徐福を遣わし、彼は日本に定住したともされます。事実なら紀元前200年頃、中国と日本の行き来はあった。2,200年ほど前です。史書に記述がなくても交流はあった。

国を鎖していた鎖国220年を消し去りたいわけではない。「2,200年の中の220年」と眺めると年数でせいぜい1割(以下)。安土桃山の延長を歩んでいたら、現在『日本』と呼ばれる領域や庶民はどうなっていただろう?」 というifは考えたくもなるでしょう。

 

次に、成功例です。

成功例① 古代日本と弥生文化

古代の日本でいうと、縄文末期の寒冷化による縄文人の絶滅匹敵の時期の後。

朝鮮半島や中国南部など由来の人々(外来種)の来訪がありました。西日本から盛んになっていった(稲作含む)農耕文化の普及がなければ、奈良時代以降はなく、ひいては今の日本の(理想的)田園風景も、日本独特の食文化もなかったといえますviiiix

 

成功例② 第二次大戦後のアメリ

最近、20世紀のことですが、ロシア革命後や第二次大戦にかけて。特に後者の時期、ナチスなどの迫害を逃れ、アメリカやイギリスへ移民がおおぜい移り住みました。その集団や二世世代には、知識人もいた。一世代前の表現ですが「偉大な移民たちx」が多く含んでいました。有名どころはアインシュタインでしょう。

ノーベル賞の数で測れるかはともかく、英米ノーベル賞受賞者の移民・二世の比率の高さを調べたら驚かれると思います。

彼/彼女らの移住後を含む活躍や成果がかなり貢献したからこそ、おおむね現在に至るアメリカの国力の基盤がある。このことはほぼ争いがないでしょう。

 

動植物についても「外来種の一律排除は誤り」なのは知られています。

しかし、コトバやコミュニケーションがある、少なくともありうるホモサピエンスについては、その移動は、本来、動植物以上に阻害されてはいけません。

自分たちの住む国の将来の国力の衰退。それを意図的に招きたいなら、話は別です。しかし十分に知識や情報を教えられたつまり「インフォームされた」人なら、そんな選択をすることはまずないと思います。

 

 

i移動平均とは:

短期から中期の傾向をわかりやすくするため、かつ、超短期の、たとえば日々の変動にバタバタ慌てないために、(例)7移動平均なら、まず「月曜~日曜の平均」、一日経てば「火曜~月曜」というふうに、雑音やブレをある程度ならしてやる(除去するわけではなく、平均するだけ)。

均し方は、任意で決める日数や期間次第です。3日平均もありえるし、200日平均もありえます。

いずれにせよ、数値やデータ加工の領域では初歩の手法です。

 

ii「人流」という観点から、インフルエンザなどの流行を型別に遡って追跡すれば、南北アメリカ感染症と人の移動の相互関係が浮かび上がるかもしれません。

 

iii 「最大の外来種」という表現は、青山学院大学福岡伸一 教授(専門は、分子生物学)のもの。引

用は記憶に拠る。

 

iv 角山栄() 『茶の世界史』(中公新書1984)

 

v 典拠不詳。記憶に拠る。

vi

 

vii 司馬遼太郎の表現。

 

viii 鬼頭宏()『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫2000年。底本:『日本二千年の人口史』。PHP研究所、1983)。

 

ix 佐藤洋一郎()『稲の日本史』(角川ソフィア文庫2018年。底本:角川選書2012)

 

x 原語は“Illustrious Immigrants.”