【5巻発売記念・再掲】 『少年のアビス』は 『海炭市叙景』の追っかけ再生

ーー白ジグソーの名人・峰浪りょうに酔おうーー

 

5巻発売記念(本日付け)!

以前のエントリーを一部編集して再掲させていただきます。

 

『少年のアビス』(峰浪りょう著。既刊 45巻。集英社ヤングジャンプコミックス)は、令和の『海炭市叙景』。または同作の(エグめの)追っかけ再生と言いたい。

――という、わけわからん比喩が伝わるかはともかく、ですよ。

過疎りかけの町の、心中と脱出をめぐる心理劇です。

今の日本で(ホントウに)他人事じゃない人はまずいない。なので「は? 過疎の町ぃ?」と内心つぶやきかけた、そこの架空の貴方にも。広くおススメします。

 

なお筆者はコミックス派。以下で本誌で「違う」と判明したところも沢山あるかも。ご容赦ください m(_ _)m

 

(I)設定

まずザクっと舞台というか設定というか。

 

(a)「ワールドエンド・ボーイ・ミーツ・ガール」

副題です。「世界の終わり」の「男子・女子の出会い」。

男女は出会う。けれど彼/彼女(ら)の「世界」だった故郷の町は、すでに終わっている……ともとれる。町から出ていくには、外界の認識を絶ち切るしかない、ともとれる。

そんなふうに追い込まれた主人公と、二人の主人公格の女子/女性。

 

(b) あくまで人間関係主軸

鳥瞰的な事情や経済とかは主題じゃない。多分。峰浪さんのマンガを読む間は、心の隅っこにおいておくだけでいい。

だが無視もできない。人間関係や言動の前提に、町の経済的な行き詰まり、地方に顕著な(だが限定されない)結婚観、女性蔑視などがしばしばからんでくるから。

 

舞台となる町は、全国から集客の見込める観光スポットはない。

「映画化で「心中の町」って呼ばれたりして?」 「えーそれはやだな」「いいじゃん。このまま何もないよりは」(冒頭、概ねこんなやりとり。地方に残ったか残るつもりの人はガチな自虐は滅多に口にしないでしょう)

国道沿いにはチェーン店だらけの一角。いわゆる「ファスト風土」。

何より、町には雇用と最低限の誇りを生む……企業城下もなく、地場産業もない。

 

ここ20年、本州で特に増えた(とされる)寂れた町の典型。

平成後半~令和のこういう町って……バブル絶頂期に『海炭市叙景』において、北海道の著名観光都市の惨状として早々と、淡々と描かれた風景と空気。

それを追っかけ再生して、ちょっとミューテーション、変異させた風景なのかなぁと感じます。

『少年のアビス』には、『海炭市叙景』の如き「追っかけ再生」はなさそう……ですか?

多分そうじゃない。既に今、三大都市圏でも都心から二時間程度の地域で広がりつつある。このままなら、な・ら・ば、もっと拡大する。

「無縁」と言い切れる人なんて、純資産額が上位10%か、天寿全う間近な人だけ。

 

町が経済的に行き詰まるとき、家庭レベルではどん詰まりになる人が一段と増える。一方、頭のいいネズミは逃げられるし、実際 逃げる。残された住人と町は一段の停滞のスパイラルに入っていく。

でも、峰浪さんの作品はあくまで人間を描いた心理ドラマだと思うので

(シツコイっ)。

 

主人公は、医療従事者の最下層と自らいう「看護助手」のシングル・マザー家庭の、次男。

四人家族は、他に引き籠り/巣籠り中の長男。認知症の祖母。

何年も前に出奔した父親は、少なくともDVをしていたとされる。

 

重そうで暗そうですね。でも面白い、じゃない、経験したこともないのに、胸に迫るところがあって。

染みるような無邪気な笑いもある。

 

c)「同中」「同小」つながり

人間関係や心理の話である以上、「地元」の付き合いの前提も関わってきます。

 

それは、「同中」「同小」のつながり。絆。住む限り一生、切れない。男女問わず、リアルとSNSでつながりっぱなし。それどころか祖父母や親の代からの絆や、「世話したりされたり」が幾重にも重ねられ、若者や現役世代を縛る。

このへん、成人後はかつての同級生とSNSでしかつながらなくても一応は済ませられる、今の大都市や郊外の生活とはちがう。

 

それが何か? とその居心地に疑問も持たない人もいる。同中のカースト上位が典型。上位でいられる大きな理由に、両親や祖父母の経済的地位がしばしばからむ。雇用主一族または地主一族です。小山の大将でいられる、居心地のいい地元を出て、何者でもなくなる都会に出ていく理由なんてない。で、上位同士、上位と二番手でつるむ。

国道沿いのいつもの店で延々ダベる分には、「別に、いんじゃね?」。

そりゃそうでしょう。

 

しかし居心地が悪い人は、もっといる。同中のカーストの下のほう。ハブられるようになった人もそう。町に住む限り、序列やらに一生引きずられる。「×××のくせに」と二十年、三十年前のことを言われかねない。

 

d)情死か駆落ちか

連載は、まだまだ続く……と期待してるので。

繰り返しますが、「その路線、連載で消えたよ」な推理は、以下に混じるかも。

 

まず、闘争や討論を通じた世論の変更は、期待できない。何を言うかより、誰が言うか。それが何より大事な、地縁集団。

そうなると、憂き世の義理。浮き世の情。その板挟みになった日本人が選ぶ方法は、あくまで一般論では、定石? としては、近松門左衛門お得意の心中、情死がある。または「駆け落ち」。逃散。要は、逃走。

 

どっちになるの? 第三の道はホントウにない?

 

e)息が詰まる。息を呑む。

息が詰まりそうな町で、峰浪さんの息を呑むような、情死と心中を巡る緊密な心理ドラマは展開する。

わたくしは1巻を読んで、予感に震えた。

 

1巻を読み、続きを読みたくならなければ「ウソだ」。

いくらでも言う。

さっきまでの風呂敷は、自分の語彙にしたコトバでそれなりに深く広げたけども、「ウソだ」という気持ちに欺瞞はないつもり。

 

(f) 「白ジグソーの名人」峰浪りょう

峰浪さんは作画がキレイ。

台本作りにおいては、さらにスゴ腕。鮮やかな包丁捌き。「どうしてそこが切れるとわかるの?!」と叫ばせる。

白ジグソーの名人でもある。「なぜそのピースがあそこへはまるとわかんの?!」

なので「ベタ」や定石も自然な形でスルっとかわす、ズラせる方です。

 

本作品も、町に向かって中指つっ立てるかはともかく、納得で未知の落ちを着けてくれるんじゃないか。そう期待してます。

落ちがどんな形になるか――凡人には想像もつかない。つかないから、1巻からずっとハラハラ、サスペンス状態なんです。

 

 

(!注意! 以下は現時点の読み解き風メモ。ネタバレ含みます)

ミニ・クライマックスの心中

冒頭の事件勃発は常道。でも「心中」ってハリウッドあたりでは扱いにくいだろうなぁ。

 

謎の「献辞」

1巻の一章の最後の献辞:「あの町と あの町で眠る Kへ」

なんの本の献辞?

K」は、順当には主人公の苗字のイニシャル。

では、物語上は「未来の」本のもの? 書き手、誰?

いや。『春の棺』の冒頭の献辞かもしれない。

いやいや。峰浪さん自身の「私小説的な」献辞かもしれない。

 

主人公は一人。主人公格は二人

主人公は一人。主人公格は二人。

わたくしはそういう認識。今のところ。

 

主人公、黒瀬令児。黒い、瀬? 川の流れが早いところ。浅いところ。何かと出会う所(逢瀬)。

個々の黒い深淵が出会う浅瀬なの、令児クン?

令和の子、児童なの、令児クン?

令児のレイは「零」に通じるの?

 

主人公格のヒロインは、二人とも主人公を恋うている。

個人的にはどっちも「推し」。

 

朔子(チャコ)。新月(黒い月)の女子は、黒瀬のソウルメイトの幼馴染。エゴやすれ違いはある。でもお互いを真剣に応援してる感が、救い。チャコは抑圧的な町を出て編集さんになれるといいねぇ。

 

担任の柴ちゃん先生改め、由里。黒々とした半・ゾンビまなこが目立つ。

メンヘラ認定する人もいるでしょう。でも「絶対 結婚も出産もしてやらない」と決意した、古里の半・囚人。現場にたまたま居合わせ、令児を救いつつ女として(一っ時は)満たされる――身勝手1/3自己欺瞞1/3の「生きがい」をやっと見つけた。

非難する人はいるでしょうよ。でもその資格がある人は滅多にいない。

 

三人の扱いは突出している: 1巻~3巻。計3回。心の深い淵からモノローグがダァーってほとばしる超絶ネーム量の、見開きページがそれ。

 

さてどっちが主人公と町をどう出ることに成功するのか。二人とも挫折するか。

 

仇/敵役

アンチというか仇役は、とりあえず二人。幼馴染の玄と母親。

 

恩着せ幼馴染、玄――

「玄」も黒のことではなかったか?

なんなの? 令児をパシリ扱いのなのに、時に友達面、時に庇護者面。マジなんなの?

安心と信頼の主従関係に病的な執着? 「地元」の男優位社会では許されない感情? まさか。

 

でも彼の深淵はまだ見えてない。

実は、この仇の二人も、1ページだけだが、丸々モノローグがある。

しかし言葉は、深淵に根ざした率直なものではない疑いが。

欺くため、外連味たっぷりに言ってみ・せ・て・るだけ。

(演技であるのが)わかりやすいのは、玄。

パシリで買わせた「未開封の」タバコの山に、ドキッ/ゾッ。なんのために買わせてんの?

「これで これで大丈夫」って。怖い。なんも大丈夫じゃないっしょ?

 

役者として数段手ごわいのは、母親。千両役者。

母の恩愛は演技まじりでも、重い。事あるごとに、自分の疲弊ぶり苦労ぶりを、罪の意識として息子に背負わせる言葉を吐く。

ほころびつつあるが、洗脳だ。でなければ、呪いだ。

土建屋って体の……」地元企業を、「だから。だから、安泰なんじゃない」と就職先として勧める。半・違法組織のフロント企業を息子の就職先に勧める母親は、令和の今、いるのか、いないのかわからない。

明確に描かれてないが、玄の父親相手に「ライト」な「売り」をやっているかも。これもレバレッジに使えるとみれば使いそう。

 

確かに、そんな追い詰められぶりには、たしかに同情する。

でもここだけは緩めてはいけないというネジが何本か緩んでるとも感じる。

……などといったら、「キレーゴトいうなっ」とコンビニ弁当のガラが飛んできそうだから、言いません。

 

狂言回し(的な?)

わからないのが、作家とその妻。

妻は「元アイドル・ナギ」。下手すると少年誌的なベタになりかねないが「ア・ラ峰浪りょう」です。大丈夫。

町に埋もれる運命を受け容れようと諦めていた主人公・令児。その心に、タバコの貰い火で「はい」 と火を点けた。息を吹き込まれた泥人形のように令児は、煙を呼吸し、溺れ始める。嵐の夜に運命も大きく変えた。

その名も「ナギ/凪」……暗合、出来過ぎ。

でも、走り始めた以上、今後はもう関わってこないのか? ずっと?

 

次に、怪しく、悪そうな職業作家。妻を寝取られて平気な新婚さんの、夫。

わけわかりません。なんなん、こいつ?

自分の中になにもないナギが令児にもう一度関わるとすれば、この男の指図になるのだろうか?

 

三つの情死

1)「情死が淵」伝説(真偽は、実のとこ不明?)。

2)比較的近い過去の、高校生の心中未遂事件(片方のみ死んだ)。

死んだのは男なのに、自分はそのときの生き残りと語る(騙る?)男性作家。

3)ありうる選択肢としての、5巻以降の心中。

三つはそもそも関連あるの? あるなら、どう関わってくる?

 

「出てくならお前の身内も住めんようにしちゃる」

この町も、かつて活気があったのか?

それは、あった、にちがいない。かなり昔は。

笑顔でちらちら登場し、でも「出てくなら お前の身内も住めんようにしちゃる準備なら、いつでも出来とる」感も滲む大人や老人(いえ、純粋な邪推です)。

一抹の憐れさ。身につまされます……

 

だって、ねぇ? 仮に、景気が悪くないとき、住宅や開業資金をローンで借りたとしましょう。

「あれ? 町、沈みかけている。逃げ出そう」と家や店を手放そうとしますね? でも、ローンが阿呆みたいに残るような額で売れたとしたら、まだラッキー。

買い手がつくわけない。大抵は、売るに売れない。だから逃げるに逃げられない。

「みんな知ってる」こと? 「今どきローンなんて誰も借りない」?

 

類似のことはどこでだって起きうる。くどいですが、現在「過疎化は地方のこと」とニュースをダラっと眺めてる人が多い大都市周辺でも、『少年のアビス』のへどん詰まり感は、一種の未来予想図。

 

深淵

「少年」は無邪気でもないし無知でもない。

ついでをいえば無垢でもない(なくなる)。

たしかに考えることを放棄し、無知を装っている。だが大人や「コミュ上手」の心理的計算、心のレバレッジ、てこ。絆や情に訴えようと繰り出す呪文。

――全て見抜けるくらいの知恵も観察力もある。だが裏切るのも怖い。

まだ何者でもない若者には大抵、怖いでしょう。

そんなこんなのごったまぜの黒いモノが渦巻く深淵。それに無理矢理フタをしていた。ナギにそのつもりはあったのか、釜の蓋を開けた。

 

そんな彼の……「深淵を覗いた者は、深淵が覗き返す」ということ?

チャコも由里もそれにヤラレた? (表現、そもそもどういう意味だ??)

主人公って、被害者面した無自覚な加害者? よくて鏡? または、触媒?

 

田舎で今、都会の郊外でも早晩、現在複数進行形の閉塞感。その中をなんとか生きようとする足掻きも悩みも涙も。妖しく切なく輝く。

「お前も不満たらたらなのに、行動もせず他人を恨むだけか? 妬むだけか?」

と迫る。

救いは、なかなかな無さそう。だけど、有ってほしい。

 

というわけで。

峰浪さんの手の平でピョンピョン、梅雨時の蛙の体操は、以上で終了であります。