Dune:現生人類は「ジハード」の夢を見るか?
もう海の向こうでは公開してるようですが、10月公開のSF映画の『Dune/砂の惑星』のこと。
『Dune』6部作はSFにおける古典。たとえていうならファンタジー文学における『ロード・オヴ・ザ・リング』のような古典ではないかなと。
余談ながら前後の歴史を原著者のご子息(他)が書き継いでいるところも似てる。
(1)期待値上がるPV
つべのPVを観る限り、いい出来のようです。
原作から半世紀以上経って(第1作はたしか前の東京五輪、1964-5年頃)、やっと/ついに/とうとう原作にふさわしそうな劇場映画が出来た。
しかも少なくとも二作はできる様子。なのでむっちゃうれしい。ま、期待先行し過ぎないようにしたい。
映画化については、一回目の試みが記録映画になるくらい呪われていたので、ほんま諦めていた。
その間(他意はありません)、スピルバーグ的またはルーカス的な「スペース・オペラ」が世を席捲しちゃった感があって。とんだ風評以外ですが、個人としてはマンガはともかく(注1)、SFという文学ジャンルにすら萎えてしまいました……『三体』登場までは。
これも余談ながら、砂の惑星と砂蟲という世界観が『スター・ウォーズ』の一部や『風の谷のナウシカ』の一部に影響を与えたのは疑いない。
(2) 人類は「バトレリアン・ジハード」の夢を見るか?
!注意! 以下、『Dune』の設定についてネタばれあり。!注意!
ところで『Dune』には大事な設定があります。
前史で「思考機械」に対する、なんやろ、「打ち壊し運動」というかラッダイト運動のようなものがあった。しかも! 成功したとされる。それが「バトレリアン・ジハード」。
この設定は、砂と砂蟲(sandworm)と少数の人間しかいないDuneまたはアラキス/ラキスなる惑星の稀少価値のとても大事な前提となる(なお人間のクローン技術などは許されている)。
思考機械……要はAIですね?
現生人類が、あるいは仕事を失ったメイドが「ル〇バ」の打ち壊しをしたとは聞かない。
なぜ現在の我々は、こんな白物もとい代物を嬉々としてありがたがっているのか?
AIが高度化したとしても、たいていの頭脳労働者にとってかわれるとしても。
少なくとも大衆レベルで疑問とされないのか。それがたいへん不思議。
以下『Dune』より。
思考機械は人類を解放するかと思われた。しかし実際には思考機械を所有し操る少数の人間による圧制を招いただけだった
(引用は記憶に拠る)。
――大枠としてはこれに尽きるといまだに思います。
(注1)最近のマンガ作品では『AIの遺電子』シリーズ、『君を死なせないための物語』が出色。