オリンピック 元祖のギリシャ人にとっての、死

「このご時世」?、前稿をうけての「枕」としてあまり適切ではないかもしれません。

粗忽長屋』だったか、噺の一つの題材ではあるので……否、そんなことはともかく。

 

今回は、古代ギリシャ人にとっての 死 について。

 

おさらい。

オリンピックは、今でいうスポーツ・フェス。ですが、神々に捧げる神聖な祭事。

前々回と前回述べた通り、神聖な儀式には、不浄なカネの入り込む余地なし。

かつ、政治利用は禁止。祭事のため全ての「ヘラスの民」が集うので戦争中の国(ポリス)も停戦した。

だいぶ前ですが近代オリンピックにあったボイコットなど政治利用。今なら人類の連帯そのものを否定しかねない。なので、モッテノホカ。

(あくまで、「古代ギリシャ的には」。どこかの下院議長に対する 当てこすりではありません)。

 

さて。古代ギリシャ人にとって、祭事を捧げる神々とは、「不死者、死なざる者、immortal」とも呼ばれた(記憶では「ティターンtitans」族も)。

それに対し、人間は、「死すべき存在、mortal」。

ギリシャ人が喝破した人間の、死すべき運命。定め。

 

それどころか!、多細胞生物にほぼ唯一共通の運命は、「個体の死」です。

単細胞生物などには、母が子にクローン分裂を繰り返し、大絶滅を乗り越え、億年単位で生存中のものが今もいるといいます。

クラゲは多分多細胞ですが、何億年生きている個体がいるとかいないとか。今人気らしい、少年マンガに無理やりなぞらえると……『葬送のフリー〇ン(ただし海月)』

って感じでしょうか?

わたくしは、生きた化石以上の存在を拝む栄誉にあずかったことは無いです。でも「わたくしは、貝でなく、単細胞に生まれたい」と夢見ることはあるような。

 

人の死はいずれ相当程度克服できるのではないかと愚考します。

昔の村上春樹か龍の小説にもありました:

 

①絶えざる「全脳アップロード」。

要は脳の記憶、メモリーの電脳へのバックアップ。

②「クローン人体の確保」

③「電脳バックアップ記憶の、自然脳への移植」

平たくいうと、「コピー&ペースト」または「カット&ペースト」なんですかね?

 

この三つが無問題で実践可能になれば、できること。

最初は当然、富裕層対象。費用次第ですが、かなりの比率の人類が死から解放されるか、相当の長命になる可能性はある。

 

なおその場合、有性生殖のオプションはどうなるのか?

長命化した人類に、有性生殖がオンされたら、人口爆発と「動物の(生存)権」圧迫は必至ですが、賢い方々はそのあたりも抜かりないんでしょう。

 

ちょっと脱線。

個体の長命化の広がり、死の克服。それは人類という種にとって望ましいか?

これは全く別問題。

以下、エピジェネティクスは一旦無視します。また、生物進化における突然変異の重要性の有無についても争いがありますが、これも無視します。

人類その他の種は、二重螺旋のDNAに生物学的な遺伝情報が詰まってます。これは争いがない。

その結果、転写ミスが起きにくい。つまり突然変異が起きにくい。もしかしたら致命的な、制約がDNAです。

今人類を苦めている(相対的に)単純な構造のウィルスは違う。

RNAだけ。最初から転写ミスがしばしば起きるようにできている。少なくともより頻繁に起きやすい。彼ら(「彼女ら」?)の絶えざる試行錯誤は、絶えず変化する外部環境に適応するため。

必要な「多様性の確保」につながる。つながりうる。大きなメリットがある。

 

しかし人間様などはちがう。

二重の遺伝情報の鎖(螺旋の対)の両方は、ある物質(塩基)が一対一で対応している。変異が起きるためには、ウィルスとちがい、対応している二つの物質が同時に変異する必要がある。

したがって人類のような生物では……変異はかなり稀にならざるをえない。

つまり人間様などは、ウィルスにはある多様性確保戦術がとれない。頻度が非常に小さい。

なぜそんな「欠陥ある」仕組みなのに。絶滅期や氷河期を生き延びてこれたか?

言い換えるなら、DNA型の生物は、個体群が遺伝的に現状維持再生してしまうと、環境の変化で絶滅しやすくなる。なのにナゼ生き延びた? という問いです。

 

結論的には、過去に何度もそういう怖い目に遭った、原初のグレート・イヴ(の一部)は、有性生殖による遺伝子の交配という多様性確保の戦術を採用した(らしい)。

その過程で誕生したのが、一見ひ弱で小さい「できそこないのⒸ福岡伸一Y遺伝子をもつ個体。雄。♂です。「アダム」もどき。

例えば深海から浅瀬、浅瀬から陸上に移る過程で、残留放射能や酸素などで偶々アダムができたのか? 偶然有性生殖するようになったイヴとアダムの子孫だけが環境の激変にも生き残りやすい、多様性を保ちえたのか、詳細は必ずしも明らかではない。

しかし原初にはイブ擬きだけ。アダム擬きはその補完として生まれた。

以上が生物学の最近の知見であり、定見です。

 

とすると、特定の発現形態たる個体のクローニング。そしてリピート再生って、太祖のイヴの遺訓を踏みにじることに……なってしまいますよね?

本来の多様性確保戦術の有性生殖のオプションをなげうってでも、個体の長命化をやっていいのか?

地獄の沙汰もカネ次第なのか? よくわからないところがあります。

 

もっとも、最近は精緻な遺伝子編集技術も登場しています。

人工的な進化というか、色々クリエイティブなことができそう。

(例)未来のオリンピックのある走り幅跳び選手は、蚤か蛙の組織を取り込んで優勝。「遺伝子ドーピング」とされメダル剥奪、という前代未聞のスキャンダルへ。

冗談はさておき。

遺伝子編集を重ねたら、(例)900年間の個体の記憶は連続していても、もはや同じ肉体とは呼べなくなる。200年の記憶は持続。しかしその頃には(例)両手プラス六本足の「考える葦」、いや、蜘蛛になってたら? それはパスカルと同じ「人間」か? 。

 

よきにつけあしきにつけ、刈り取り人としての死神。同時に駆り立て役でもある。

数百年生きられるなら、駆り立てる「ドライブ、drive」を失ってしまう可能性がある。

肉体、とくに心臓の拍動という自然的リズムはそのまま。しかし「自分は事故があっても、昨夜のバックアップ記憶があれば数百年は生きられる」

(人ゆえ、それくらいは当然自覚する)

そう自覚してしまった存在は、人間としてどうなるか?

試してみないとわからないですが、もはやこれは「エルフ」か「オーク」

(←にわかネタ、引きっぱり過ぎ)。

 

突然変異ないし大小のゲノムレベルの変化はいまもあるでしょう。

しかし有性生殖による多様性確保という生存戦略またはオプションは、その計算のつかなさも含め、原初のイブの思惑どおりに人類に有利に影響してきたのでしょうといえる。

ホントウにそれを放棄するのですか? 貴男や貴女や貴方はそんなに特別な個体ですか?

少なくとも僕はそうではないですが()、「そうだよ!」と言い切れる幸せな方もいるんでしょうね、広いグローブには。

 

なお、有史以降の人間に限ると、最も重要な遺伝子擬き。これは、生物学の分野のものではない。

故・梅棹忠夫氏のいう「情報」。現代風にいうとコンテンツ。

伝達媒体や配給方法より、そもそも他者の情報を脳内で解釈・発酵・展開する、変異・反転させる。そういう操作を可能にする基礎的なことも含む。

族や社会や教育などの諸制度にこそ最重要なのではないかと思います。

梅棹氏や福岡氏らの受け売りでしかない脱線もそろそろほどほどにします。

(わたくしのいうセリフじゃないっ!)

 

狭い意味での脱線は終わり。

 

 

(この項、続く)