お詫び&訂正 & 古代ギリシャ・オリンピック よもやま

前回のお詫び&訂正:

古代ギリシャのオリンピックは、都市(ポリス)を巡回することはなく決まって「オリンピア」で開催されました(オリンピアの管理権をめぐって争いはあったようですが)

開催都市を巡って戦いはなかった。

お詫びするとともに訂正します。

 

 

古代ギリシャ絡みネタの続き。

 

余談的よもやま話:

 

オリンピア

オリンピアは、土地の名前にもかかわらず、オリンポス山に近接しているわけではありません。しかし主神ゼウスを祀る場所として有名だったようです。

 

②休戦協定

なお、選手や観客の旅行の安全のため休戦協定があったのは、事実です。

しかも殆どの場合遵守されていた。驚くほかありません。

それゆえ今もオリーブの草冠は「平和の象徴」とされます。双方打ち方止めの徹底ぶりは現代国家も見習うべきものがあります。

 

③勝者の賞

勝者には、草冠と偉業を記録される栄誉(だけ)が与えられた。これも本当。

このことには、オリンピックの起源の諸説もおおむね宗教がらみで、祭典の宗教性が寄与していたのは疑いにくい。

また、以下のことは当時の参加者に意識されたかは疑問がありますが、

だがしかし現代人からしたら、

「参加資格が、地中海世界の他の土地の競技会のように「王侯貴族限定」ではないにせよ、自由市民の男性つまり基本的に資産をもっている者限定ゆえに『名誉だけで身に余る光栄』という、ゆとりがあったからだろうよ?」

後知恵的に、そう指摘する余地はある。

 

稀に、栄誉をカネで買おうとする者はいた。

そのことが、価値においてどっちが上だったかをはっきり示しているともいえる。

 

現代において、金メダリストがその後メダルを換金することはありうると思います。しかし古代ギリシャでは、記録された権利を他者に「ネーミング・ライツ」として放さすことはなかったでしょう。

また、現代の金メダリストやトップアスリートになるためにかかる費用が、その後いかに多くCM契約をとろうが、生涯収入の何倍にもなると想定されるようなら、スポーツ選手を志す現代人は激減するはず。

いざというときどっちを手放すか?

それをみれば、少なくともその時点でどちらを価値として上にみているか、くっきりわかる(漱石の『吾輩は猫である』にも例はちがうが、同趣旨の記述あり)。

 

④「市場価値」

「自らの市場価値を高めよ」などとすぐ追い立てられる現代のビジネスマン。

貨幣的価値を自らの価値とみなして疑わないなら、ギリシャの自由市民よりは奴隷に近い。ちなみに「スポンサーの意向」を忖度する姿勢が顕著なら、スポーツ選手とて同じ。

しかし古代ギリシャでも、奴隷が商才や才覚でのし上がることは比較的自由だったという。奴隷出身の商人はもちろん、有名な詩人もいたと記憶します。

その限りでは、ガチガチの中世よりは近現代に近い面もあった。近現代の精神的ルーツになっているのも当然でしょう。

 

⑤ネロ

「やらかしさん」のローマ皇帝ネロ。

あるオリンピックで、競技で失格したのに勝手に勝利宣言したり。当時あった歌唱コンテストで、ひどい歌声にもかかわらず優勝したり(審判団を買収か脅迫)。皇帝の死後、栄誉は剥奪されたようです。

ネロって……古代の「ジャ〇アン」だったとは。「やれやれ」。

 

⑥ 古代のオリンピックの終焉

最後に、古代オリンピックはどうして終わりを迎えたか。

紀元4世紀、ローマ帝国キリスト教に転じていきます。

植民地ギリシャでも、オリンピックは「異教、pagan」の祭りとして皇帝により最終的に禁止されました。

やはりその宗教的起源が問題になったわけです。

 

現代のクリスチャンは、たとえ原理主義者でも、オリンピックが異教的な起源をはらんでいることは……まぁ「近代」オリンピックですし? 気にならないようですね。

詳しくは知りません。